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世の中の法律

集団生活(1)

 哺乳類が、新生代第4紀の完新生の頃に誕生し、その後、人類が生まれた。その生まれたての人間は、他の動物たち同様に狩猟生活を営んでいた。狩猟生活とは、海で魚を獲ったり、山で動物を獲ったりして、それを食べて生きていくことだ。これは誰でも知っている事である。また、その頃の人々は家族単位で暮らしていた。冬の間は、食べる物が少なく、貯蔵して置いた食料を食べて生きていたようだ。現代になって、その当時の人間の骨が現代に発見されて、その骨に年輪が出来ていたので不思議に思っていたが、それが、成長期に食料が豊富な時と食料が無い時があって、骨が成長したり、しなかったりして、年輪になったそうだ。
 そのような時期を、長い間過ごした人間は、生きていくことがやっとのことだったろう。自然に完全に支配され、食料を得ること、外敵から身を守ること、子孫を増やさねばならないなどの様々な制約があったのである。それに、何といっても類人猿から進化したばかりであるというのだから、また、学校も何もないのだから、まるで、動物と変わることがない。人間もまだ、生きていくことさえ、運がよければといった感じだったのかも知れない。
 進化は、自然淘汰と適者生存の原則であるから、人間も試行錯誤を繰り返して進化の道をたどってきた。現代の私たちも、仕事をして暮らしを立てているが、より合理的な方法を模索していて、それは、たとえ国家であろうとも同じである。
 狩猟生活は、魚介類や動物の肉を獲る訳だが、木の実なども採集して食料としている。ある時、人間は、大地に落ちる木の実の発芽を発見し、これによって、木の実を植えて、栽培出来れば、大量に木の実を生産出来ることを思いついたなどの理由から、農耕を始めたのである。
 毎年毎年やってくる、冬の寒さはとても辛いものであったであろう。今では、家の造りも冬の寒さくらいは何ともないし、暖房だってある。だが、当時の人々には、冬の寒さはまるで地獄のようであったに違いない。それは、今でも世界の国々に残っている神話などから、窺い知る事ができる。
 このように、とてもか弱い古代の人々は、また、家族だけではあまりに心細く自然に仲間を求めるようになったのかも知れない。人類が誕生したのは、直立歩行と火の使用のためだが、言語の使用もまた見逃してはならない。人と人とが、出会い協力して生きていくには、言語なしでは無理である。多分、人類も生まれたての頃は、動物と同じでオスとメスがいて、子供を生んで狩りをしていただけなのだろう。言葉の語彙も極度に少なく、必要最小限度のものだったに違いない。心の発達も、現代人に較べて簡素なものであったであろう。
 犬の例でいえば、犬は集団で生活している。これは、狩りをするために非常に便利であるからで、仲間がいないと淋しいからではない。人間より、心の構造が発達しているわけではなく、言語もないのだから、自然に備わっている本能が集団生活を犬にさせているのだ。もし、人間にも自然のうちに集団生活をする本能が備わっていたのであるならば、人類発生の初期の段階で集団生活を営んでいるはずだ。これも、オーストラリアの原住民たちのように、狩猟生活を営み家族単位で暮らしている人々を見ると、比較的暖かい気候に恵まれている地域に住む人々などには必要ないのかもしれない。また、地理条件が、悪く絶えず寒冷な地域に住む人々の心は暗く、自然に人を求めるようになる。一人で生きるより、他人と一緒に協力をすることが、楽しく、また、生きること自体につながっていく。こうして、人間は集団生活に目覚めていったのだろう。
 

by tomato1ko | 2019-02-18 03:39 | 雑記

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